嬉しかった言葉

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今週のお題特別編「嬉しかった言葉」
〈春のブログキャンペーン ファイナル〉
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「1/2の確率じゃん」
高橋さんが運転しながら言いました。
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高橋さんは、私が専門学校を卒業して初めて就職した印刷会社の先輩です。
私はデザイナー、高橋さんは営業でした。
高橋さんは猫みたいな人でした。
自由きままで、自分の意思が強く、だけど甘え上手。
女性には困ってなさそうでしたが結婚していませんでした。
というより、1人が似合う人でした。
数年後、高橋さんが自己都合で会社を退職し、私もその数年後、入社してから6年半で印刷会社を去りました。
私には力が及びませんでした。
自分のデザイン力の無さに諦めがついたのです。
趣味を仕事にすることは間違いでした。
お金が貰えるのは嬉しかったけど、後半はお金を貰うのが辛い、休む時間が欲しい、自由な時間が欲しい、何のために生きてるのだろうと思うようになってました。
自信を失いつつも職業訓練でパソコンの勉強をし、何社か面接をしては落ち、ようやく受け入れてくれる会社が見つかりました。
そして仕事も覚えた頃、私は気になる人ができました。
私の席は大きなフロアの出入り口にあり、気になる人は別の小さな部屋で仕事をしていたのですが、彼はパソコンの修理屋さんみたいなことをしてたので、1日に何度もフロアを行き来してました。
私は出入り口に背を向けて机に向っていましたが、足音だけで彼か、彼じゃないかが分かるようになっていました。
彼がフロアに入ってくると、つい目で追ってしまいます。
(社長と笑って話してる…すごいな〜)
(真剣な顔だ…直すの難しいのかな?)
(女の子と楽しそう…早く離れてよ)
仕事に雑念が入ります。
しばらくは気になる人でしたが、こんなにも朝から晩まで考えていると、好きと自覚してしまうのに時間はかかりませんでした。しかしどうしていいか分からなくなりました。
私は自ら告白したことがありません。
いつも、相手が告白してこないかな〜と待っていてはいつの間にか片思いが終わっていました。
それは相手に恋人ができたり、私が一方的に思い過ぎて疲れてしまったりで終了してしまうのです。
そんないつもの片思いパターンにもやもやしていた時に、あの高橋さんから電話がきました。
新しいデザイン事務所を立ち上げるので、私にデザインの仕事をして欲しいとのことでした。
私はもう別の仕事をしていて今はそこで充実した毎日を送っているし、もうデザインの仕事はできませんとお断りしましたが、とりあえず会おうということになりました。
家の近くまで迎えにきてくれましたが、他にも見知らぬ人が2人乗っていました。
これから一緒に働くらしい男性と、なんだか役割がよく分からない女子でした。女子は高橋さんにべったりだったのですが、恋人というよりペット?みたいに感じました。
高橋さんが運転し、ペットは助手席、男性と私は後部座席でした。
印刷会社時代、たまに夜食を高橋さんがおごってくれ、何回か車に乗せてもらったことがありましたが、その時はいつも助手席でした。
(私が座ってたのになぁ…)と違和感を覚えながら世間話をし、デザイン事務所を構えた小さなビルに着きました。
ポスターや看板などの大きな紙を印刷できる機械がデーン!と置かれてありました。
高橋さんが嬉しそうに説明します。
そして、見知らぬ2人の前で、私にもう一度デザインの仕事をしないかと打診してきましたが、私は首を縦に振れませんでした。
ありがたかったです。けれどもデザインの仕事を離れてからもう数年たち、自信もありません。今の事務の仕事が楽しいです、と。
高橋さんはしつこく説得をすることもなく、納得してくれました。
そして「いつでも遊びにきてよ」と住所の書いた紙を渡してくれました。
それから事務所を後にして、不思議な組み合わせの4人で居酒屋に行った後、私の家まで送ってくれる道中で
「好きな人はいないの?」と聞かれました。
見知らぬ2人は黙って聞いています。
いるけど、どうしたらいいか分からないと答えると「告白すればいいのに」と。
無理!できない!と一点張りの私に対して
「勿体無い、1/2の確率じゃん」と言い放ちました。
そこで私は結果がダメだということしか考えてなかったことに気づきました。
可能性は半分あると。
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この日を最後に高橋さんとは会っていません。
この間、なんとなく高橋さんの携帯番号を表示したらあの小さなビルの住所が登録してありましたが、ネットで検索したらおしゃれな子供服ショップになっていました。
高橋さんと最後に会ったのは、とてもとても前のことです。
今更電話をする勇気もありません。(電話番号が変わってるかもしれません)
猫のような高橋さんは、今日も自由に生きているはずです。
私は高橋さんのあの言葉に背中を押されて、告白することができました。
そして結婚をすることができました。
高橋さん、ありがとう。